全簡易引き続きフィンテックについてお話をする前の前置きとしてまた、リテラシーとして知っておいては損の無い内容かと思いますので是非一読ください。

状況に合わせて変化する金融サービス

金融機関の業務範囲

日本において金融サービスを提供してきた主体は、銀行や証券会社、保険会社といった金融機関であり、時代を超えて大きな変化はありません。日本は戦後の復興期から高度成長期にかけて、製造業を中心に発展してきましたが、製造業は多額かつ長期の設備資金が必要でした。

また、雇用創出のために中小企業を支援する上で、安定的かつ円滑な資金供給が求められてきました。こうしたニーズに応えるために、金融機関の業務範囲は、長期資金融資向け·短期資金融資向け金融の分離(長短分離)、銀行·信託銀行(銀信)/銀行·証券会社(銀証)の分離、金利·外国為替の制限など、細かく規制されました。つまり金融機関の専門性を強化することで、安定的な金融サービスを提供しました。

規制により銀行貸出を中心とした資金供給システムを構築し、経営基盤の弱い金融機関でも存続できるように考慮されていたことから、「護送船団方式」とも呼ばれます。また、民間金融機関による金融サービス提供が困難な状況に対応し、公的金融機関が民間金融機関を補完する役割を担ってきました。しかし、日本経済炉高度成長期カ·ら安定成長期ヘと移行した1970年代半ば以降は、経済構造の変化に伴う形で日本の金融サービスの提供方法にも大きな変化炉発生しました。これは、具体的には3点にまとめることができます。以下では、この変化について取り上げます。

金融の市場化とリスクの多様化

1970年代半ば以降、日本では2つの「コクサイ化」が進展したことが、大きな転換点といえます。コクサイ化とは①国債の大量発行開始(国債化)、②グローバル化の進展(国際化)を指します。①は、1970年代半ばのオイルショックで落ち込んだ経済をテコ入れする資金調達として行われた国債の大量発行のことです。国債の主な保有者である銀行のバランスシートを圧迫したことから国債の売買につながり、ひいては国債の流通市場の発展を促しました。

当時は金利に対する規制がある中で、国債の流通市場の発達は金利の市場化(ニーズに応じた変化)をこれは、促すきっかけとなったといえます。②は、固定されていた為替相場が1970年代前半に変動相場制へと転換したことを皮切りに国際化が進み、外為取引やクロスボーダーでの証券投資の規制が徐々に緩和したことです。特に、1980年代前半にはアメリカからの外圧もあり、金融·資本市場の対外開放が徐々に進んでいきました。

2つのコクサイ化がもたらしたものは日本における「金融の市場化」(金融サービス全般でニーズを基にした価格やサービスの提供)であり、従来の「護送船団方式」が崩れました。これにより、企業や政府の資金調達は有価証券を発行する形式が増え、海外との資金や資本のやりとりも活発化しました。

一方、需給に応じて有価証券や通貨の価格は変動するため、資金供給者には債券や株式、通貨の売買における価格変動リスクにどう対応するか、という論点が登場します。価格変動リスクへの対応については、先物やオプションなどのデリバティブのような、市場を通じた手法が1980年代から発展していきました。

2つのコクサイ化を契機に、銀行は国債の店舗窓口での販売(窓販)やディーリングといった証券業務への参入が進みました。また、証券会社も中期国債ファンドと決済口座をあわせ持つ資金総合口座の提供を開始するなど、金融の市場化に沿った金融サービスの提供が進展しました。

テクノロジーの発展に伴う金融業のシステム装置産業化

ITの発展に伴い、金融機関におけるシステム導入が加速度的に進んだのも1960年代後半から1970年代にかけてです。そもそも、金融業で取り扱う商品はお金や金融商品であり、情報のやりとりが本質的なサービスといえます。つまり、金融業は情報産業であり、ITの発展の恩恵を受けやすい業界と考えられます。金融機関のシステム導入は、段階的に進められました。主な流れは次の通りです。

まず、1960年代の第一次オンライン化では、金融機関内の各業務におけるコンピュータ処理が導入されました。1970年代以降の第二次オンライン化では、業務間の連動処理や金融機関間の連携(ネットワーク化)が進められました。そして、1980年代以降の第三次オンライン化では、前項で述べた市場化の進展に伴い市場での取引量が増加し、システムの巨大化や複雑化が進みました。

その後は、インターネットの利用拡大や情報セキュリティ対策など、幅広い分野でテクノロジーの活用が広がりました。こうしたテクノロジーの活用が金融機関の業務運営の効率化、さらに提供するサービスの拡大につながっています。インターネットバンキングなどがその一例ですが、規制の変更などと合わせ、テクノロジーに優位性のある企業の金融業参入、つまりは参入障壁の低下にもつながっています。

金融規制の緩和と強化に伴う担い手の収穫及び多様化

金融の市場化やテクノロジーの活用に加えて、日本の金融機関に大きな影響を与えたのは、1990年初頭のバブル崩壊と1990年代後半の金融規制改革です。日本は、1980年代後半の資産価格上昇から一転し、1990年代初頭に株価と不動産価格が暴落した結果、金融機関の経営状態は悪化し破たんが相次ぎました。金融機関の体力が落ちている中で、追い打ちをかけるように進展したのが日本版金融ビッグバン(金融規制改革)です。日本版金融ビッグバンとは、1996年に日本政府から公表された金融システム改革を指します。

具体的には、証券手数料の自由化や金融持株会社の解禁、時価会計制度の導入などが挙げられます。証券手数料の自由化は、金利上限の撤廃に次ぐ価格規制の緩和といえますし、金融持株会社の解禁は業務規制の撤廃です。日本版金融ビッグバンにより「護送船団方式」は完全に終わりを迎え、多様な金融サービスの提供が可能になりました。日本版金融ビッグバンを契機に金融機関の合従連衡も進みました。

たとえば、現在の「メガバンク」のひな型は1990年代以降の合併によって形成されました。これはバブル崩壊に伴う経営状況の悪化と、日本版金融ビッグバンに対する危機感の表れともいえます。また、新たなプレイャーも登場しています。たとえば、インターネット専業の証券会社が挙げられます。

1990年代には、家庭用インターネットの普及が進む中で、オンライン上で安価な手数料設定で個人投資家を取り込んでいきました。日本の金融ビジネスに大きな影響を与えた3点の変化は独立しているわけではなく、互いに影響し合いながら、日本の金融機関のビジネスモデルにインパクトを与えてきました。

中でも、変化の中心にあるのは金融の市場化です。テクノロジーの導入や規制改革も金融の市場化が進む中で急速に進展し、その結果として市場化が再度進展するという循環をもたらしたといえます。こうした市場化の傾向は、日本だけで起きていたわけでなく、英米といった金融先進国では先んじて進められてきました。ただし、2000年代半ば以降は、次節で述べるように金融の市場化の迎えることとなります。

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